第3章 ~ ロンドン編 ~ → Back in Japan

第3章 ~ ロンドン編 ~ → Back in Japan

2014年11月2日日曜日

なぜ翻訳なのか

みなさんこんにちは、かばんです。


ここ2,3週間のロンドンの空は白く、
雨もしっとりと降ってなかなか秋らしくなってきました。

いや…
洗濯ものが乾かないから困るんだけどね。
乾燥機使う以外に方法がないから電気代が怖くて仕方ない。

去年は軽率にも暖房で洗濯物を乾かした結果、
電気代だけで2,3万払ってしまったからね!
毎月だぞ毎月!!!ロンドンの物価高怖い!

この秋冬の天気の悪さは5年のイギリス生活で慣れたと思ったけども
主婦になってからはあまり有難くないことばかりで気が滅入る一方です。

そんなこんなでロンドン生活2年目が始まりました!
昨日も今日も雨だぞイエイ!


さて、今回のお題は
ここ最近自分の中で胸にすとんと収まった事柄です。


「なぜ翻訳にこだわるのか」


この世には、色んな言語で書かれた歴史書があり、文学がある。
それはどの時代も変わらなくて、そこには変わらずに翻訳する人間がいた。
その道のプロではないことがあっても、言語という媒体を扱う専門職で、
人々の知識の橋渡し役を果たして社会の縁の下の力持ちという存在だった。

月並みな表現だけども、私はそんな橋渡し役になりたい。
そして、読者とは少し違う形で、物書きをする人の理解者になる。

私は人よりもほんの少し英語が出来るから翻訳をするわけではない、決して。
純粋に、翻訳という行為が楽しくて、
特別な能力だと信じて大真面目に英文にあたっている。

よく聞くフレーズである
「英語が好きだから翻訳で生計を立てたい」
なんて英語が先に来てるわけじゃないのよ。
別にそれを安易な理由として批判してるのではありませんよ。


何だか薄っぺらい文章になってしまったけれど、
「翻訳者になる」という高校生の時の初志が、
大学で経験した「英米文学を貪るように読む」という行為によって、
二年と少し経った今になってより大きなものに変化していったように思う。

それに、さまざまな時代の小説やジャーナル、
詩や戯曲を読んできた感覚を翻訳という行為を通して振り返るって
とても心地よい感覚なのよね。

だから在学中から苦労した語学だけども、
自分なりに克服して、新しい目標に導いてくれたと信じているんだ。


てなわけで、以上が翻訳者でいる私の志なのであります。


頑張りますよ。

かばん


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